444円で買った『Fallout 4』をクリアした。いやー、長かった。2022年の前半はほとんどFallout 4しかプレイしてない気がする。体感としてFallout4のマップの広さはFallout3の倍以上じゃないだろうか。とにかく恐ろしいほどの物量で窒息しそうだ。マップのいたるところにロケーションが用意され、しかもターミナルなどに住民のバックストーリーが用意されたりしている、いつものFalloutだった。

しかし、不思議なことに記憶に深く刻まれた思い出があるか、と言われたら困ってしまう。Fallout3のテンペニータワーやNew Vegasのサンセットサルサパリライベントなど、Falloutのビタースウィートな、胸糞悪いけど心に残るイベントが少なかった。BOSルートの終盤にある「パラディンダンス」関係のイベントなど、アッと驚く面白いサブミッションもないわけではないが、全体的に「質より量」という印象が拭えない。

全体的に小粒ながらも、コンパニオンキャラクターが大量に増えたのは大きな前進だった。しかも、そのコンパニオンそれぞれにちょっとしたイベントが用意されており、長期間ともにするNPCが”仲間”としてプレイヤーに受け入れられる重要な要素になっている。なかでもキュリーのストーリーは序盤で仲間になるキャラクターにもかかわらず、かなり長期にわたって続く大がかりなもの。キュリーなんて場合によっては仲間にならない人も大勢いそうなのに。細かく、しかも大量に作ってあるのは圧倒される。

レベルアップシステムについても大きな変更があった。従来はレベルアップでそのレベルの新しいPerkを選択して習得するシステムだったが、Fallout 4では全てのPerkに必要SPECIAL値が設定されており、現在のSPECIAL値で習得可能なPerkをスキルポイントを消費して選択する形になった。つまりPerk自体にキャラクタレベルは必要ない。また、SPECIAL自体もスキルポイントで上げることが可能になった。さらにレベルキャップもなくなった。時間をかければSPECIALオール10で全てのPerkを取得することも夢ではない、という大盤振る舞い。まあ、そんなことする奴は相当少数だろうけど。しかし、この変更は良し悪しがある。まず、第一に最初に割り振ったSPECIALにあまり意味がなくなった。柔軟なキャラクタビルドは、没個性になりがちになる。自分で(脳ミソ筋肉キャラなど)ロールプレイの縛りを設けたりして楽しむほうがいいだろうと思う。また、どのPerkを目指すのかあらかじめ決めてしまうので、レベルアップが作業的で楽しみが薄い。レベルアップ毎にPerkの選択で悩んでいたあの不自由な時間も「お楽しみ」だったんだと気が付いた。まー、これは結局好き嫌いの範疇か。

また、レベルキャップが廃止されたことで敵が自キャラのレベルと連動するようになった。進行状況によって敵が強すぎたり、逆に弱すぎたりする事態を防ぐためなんだろうけど、あからさまなゲームデザインをRPGでやられるとちょっと現実に戻される。せっかく自分のレベルが上がっても敵も強くなるので、あんまりうれしくない。結局のところ私はRPGで「俺強ええええ」がやりたいだけなのかも。

メインストーリーは、ある事情で息子と離れ離れになった主人公である父(または母)が、最終戦争で荒廃したボストンである”連邦”で息子を探す話。Fallout3が父を探す話だったので、Bethesdaはこの手の話が好きらしい。終盤で息子に関する捻りが明らかになって、ちょっと驚いたものの、全体を通してメインストーリーは印象が薄い。そもそも、Fallout4では拠点づくりや探索などサイドコンテンツが大量に用意されているので、メインストーリーを一気に進めてしまわないとどうしても忘れがちになる。これがメインストーリーの印象が薄い大きな原因だろう。Fallout4ではメインストーリークリア後も続けてプレイできるので、最初にメインストーリーを一気にプレイするのもありかもしれない。どうせ敵は自キャラの強さと連動するし。

しかし、Fallout4は不思議なゲームだった。相当長い間プレイしたはずなのに、あまり記憶にない。やってる間は結構面白いので総合点は高いのだが、これと言って個性があるわけでもない。コンテンツが豊富でただただ時間が溶けていくが、もう一回遊びたいか、といえばそうでもない。質より量、メインストーリーよりサイドコンテンツ、という作りの限界なのかもしれない。だけど、誰がプレイしても大きな不満はでないだろう。よくできているのは間違いない。しかし、Fallout 3やFallout New Vegasが持っていたキラリと光るなにか、個性というかアイデンティティがFallout 4にはないのも確かだった。