プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなった。プロレスに詳しくない私でも、アントニオ猪木ぐらいはさすがに知っている。顎の長い、「元気ですかー!」と叫ぶ人。元気のない人達をビンタして回る人。

アントニオ猪木と言えば「元気ですかー!」に続く「元気があれば、なんでもできる」という言葉も有名だ。だけど、この言葉はあまり好きなれない。露骨に精神論、根性論丸出しで全てを無視した盲目的な言葉だ。

だけど、猪木死去の報道をボーっと見ていたとき「元気があれば、なんでもできる」って命題みたいだなっ、とふと思った。この言葉が放送されたか、頭のどこかにこびりついていたんだろう。それで「元気があれば、なんでもできる」の対偶はなんだろう、と思い始めた。対偶とは仮定と結論を否定したものをひっくり返したものだ。「AならばB」という命題の対偶は「BでないならAでない」となる。そして、ある命題とその対偶の真偽は同じになるはずだ。つまり「元気があれば、なんでもできる」の対偶は「なんでもできないなら、元気がない」になる。「なんでもできない」という言い回しは不自然だから言い換えるなら「失敗するなら、元気がない」とする方が適切だろうか。命題と対偶は同じ真偽なので同じような事を言い換えてるだけなのだが、「元気があれば、なんでもできる」と「失敗するなら、元気がない」では受ける印象が全然違う。前者は盲目的だが、後者は失敗した原因を曖昧な「元気」という言葉にすべて押し付けている。反省は大事だが、辛い。嫌な気分がずっと続く。それを「元気がなかったから」とすべて一蹴するこの言葉はなんと精神の安定に寄与することか!

そう考えていると、だんだんと「元気があれば、なんでもできる」も悪くない気がしてきた。失敗した自分や他人に不満を持っても「ああ、元気がないんだな」で済ませられるように思えてくる。問題は何も解決しないだろうが、ずっと気が楽だ。不平不満は全部「元気」のせいにしてしまおう。誰も悪くない。全部「元気」が悪いのだ。