国連の記念日はいろんなものがあって面白い。2月13日は国連だかユネスコだかが定めた「世界ラジオデー」だった。

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僕はラジオをよく聞くんだけど、おそらく少数派だろうと思う。娯楽が多様化していると言われて久しいけど、年々とラジオが下火になりつつある気がするんだよね。特に若年層には不人気で、僕が中学生ぐらいの時には既に顕著だった。深夜ラジオを聞いている層なんてクラスでも日陰者グループぐらいだったんじゃないかな。いわゆる「イケてるグループ」の人達がラジオの話をしていることなんて見たこと無い。そういう意味ではラジオってダサいというか古臭いイメージが強いよね。

ラジオは現代にも通用するメディアだ

じゃあ、ラジオって時代遅れで不要なものか?というと、そうでもない。テレビで「マツコ&有吉の怒り新党」という人気の深夜番組があるけど、あの番組って視聴者からの「怒りメール」を紹介してマツコ・デラックスと有吉弘行がそれにコメントするだけの番組なんだよね。リスナーからメールを募集してトークするってラジオだとお決まりだけど、この番組がやってるのもそれなんだよ。画面も二人が喋ってるところを映すだけだし。もしラジオ文化が時代に合ってないとすれば、怒り新党は何年も続く人気番組にはならなかったはず。

それに、テレビをつけっぱなしにして音だけ聞いてるって人も多い。帰宅して取り敢えずTVの電源を入れるって人とかもそうだし。無音を嫌うっていうか賑やかさがほしい人って以外に多いみたいだね。つまり、ラジオって人気は下がっているけど潜在的な需要は根強いんだよ。

考えてみたら、テレビが始まってインターネットが登場して、とラジオにとって強力なライバルが多いわけだけど、これらがラジオの代替、上位互換かと言われると、そうでもないんだよね。物事にはそれぞれの役割や特徴があるから、紙の新聞も郵便もレコードも未だに生き残ってるんだろうと思う。

ところで、需要があるのに人気が落ちてるってのも不思議な話。つまりこれは、ラジオってハードルが高いってことだよ。多分、今の子供達ってラジオをどうやって聞くのが知らない子も多いだろうね。そもそも家にラジオ受信機がなかったりする家も少なくなさそう。「ラジカセ」なんて、もはや古代の遺物で死語だしね。

そういう意味じゃ、ラジコ(らじる)やポッドキャストってラジオに触れる重要なきっかけになってる。ラジオ受信機が無くてもスマホはあるだろうし、携帯も出来る。昔よりはハードルが下がってるのは間違いない。あとはラジオに対するダサいイメージが変わって、ラジオにしかない魅力に気付いてもらえるかだよね。面白い番組があるんだよって話題になって「私も聞いてみようかな」と思う人が増えるのを待つしか無い。

このまま不人気が進んで、リスナーが年寄り、トラック野郎、有閑マダムばっかりになるにはあまりに惜しい存在だよ、ラジオって。