元日なのか元旦なのか、そんな事を悩みながらこれを書いているわけですが、今日は2015年の1月1日です。初詣から帰って雑煮やおせちを堪能した、という人も多いのではないでしょうか。

私も今日は雑煮とお寿司を食べました。めでたい正月っぽいメニューですね。でもね、雑煮や寿司をいざ口にしてもなんだかパッとしないんですよ。”正月感”が薄いんです。

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正月「だから」たべるもの

なぜ正月感が薄いかというと、私は日常的にお餅もお寿司もよく食べるからなんですよ。私はお肉よりもお寿司のほうが好きですし、家でうどんを食べる時なんかはよく餅を入れて「力うどん」にします。だから「餅・寿司=正月」という繋がりが脳内に生まれないのです。うーん、おそらくこの”繋がり”が”正月感”の正体かと思われます。

さて、”正月感”が何であるかうっすらと見えてきたところで、ここに正月を感じるためのヒントが隠されているようです。すなわち、”正月”を連想する非日常こそが本当の意味での”正月”なのです。正月は1月になると勝手にやって来るのではなく、正月にしかできない非日常を体験すると初めてやって来るのです。「おせちもいいけどカレーもね」なんて言ってちゃダメなんですよ。

そこへ来ると普段食べない”おせち”はグッドチョイスです。私の中で”おせち”の存在意義はここにあるとも言えそうです。

アメリカ人は七面鳥を喰い、日本人はおせちを食べる

ローストした七面鳥

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私達が正月におせちを食べるようにアメリカでは感謝祭やクリスマスにターキーを食べます。そして言うまでもないですが、おせちもターキーもマズイです。(七面鳥食べたことないですけど、パサパサしてるそうです)

土用の丑の日以外に鰻を食べる人はたくさんいますね。蕎麦は大晦日専門の食べ物でしょうか。でも、おせちを夏に食べる人はいません。おせち専門店も存在しません。物流や栽培技術が発達した今日では料理は常に競争に晒され、旨いものは流行りマズイものは廃れ行くのです。そしてイベントものの食い物は大抵まずいのです。そりゃ、おせちがうまけりゃ毎日食うよね。

マズイものを愛する心

世の中には美味しいものがたくさんありますが、最後の晩餐には母親の手料理を食いたがったりします。また、駅の立ち食いそばとか駄菓子とかチェリーコークとかをマズイとわかっていて食いたくなったりします。で、いざ食うと「うん、やっぱりうまくねーな」とか妙に納得したりするんですよね。矛盾するようで変な話ですが、マズイから良い料理もあると思うんです。

dr pepper

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おそらく食事には味を楽しみ腹を膨らませる以外の目的があるようです。そういえば、こないだanimaxの無料放送でやってた攻殻機動隊2nd gigでトグサが「過去の記憶を思い出す為の再生装置としての味」とか言ってましたね(第8話 素食の晩餐 FAKE FOODより)。

マズイから記憶に残る。マズイから非日常。正月というイベントにマズイ食い物は欠かせないようです>< 正月にはマズイものを食べよう!